乳がんになったわたし

平成29年12月に乳がん全摘手術をし、平成30年8月に再建手術をしました。人生最大の衝撃でしたが、記録に残しておこうと思っています。

2月終わりの診察

1月の病理検査の結果を受けて、アリミデックスの服用が開始に

なったが、1か月様子を見ると言うことで、2月の終わりに受診。

特に大きな体調面でも変化もなかったので今度は3か月分の処方。

骨粗しょう症のリスクがあるそうだが、前回骨密度の検査をしたら

2か所測ったのだけど、143%と103%だったとかで

無事にクリア。

そこでもう一度主治医から「いつでも再建できます」とのお言葉。

今回も聞き流す。自分は人工乳房を買うつもりだったので。

もうすぐ保険もおりるし(がん保険じゃないので微々たるものだが)

それを少し使って買うつもり。日帰り銭湯や温泉はそれで

楽しめばいいと思っていた。

がんになる前の2年間

うちには3匹の猫がいた。みんな保護猫だけど

個性豊かでかわいくて仕方ない。このままの生活が永遠に続くと思っていた。

平成28年2月に愛猫1匹虹の橋を渡る。

同4月にもう1匹、虹の橋を渡る。

2月の子は半年ほど闘病生活をしていたので

覚悟はあったのだが、4月のこはいわゆる突然死で

直前まで元気だっただけに、信じられなかった。

今でもどこかにいる気がする。

同年10月実父が亡くなる。こちらは闘病生活2カ月。

覚悟はあった。

父が亡くなって1週間後、職場の隣の敷地で子猫発見。

迷わず連れ帰る。父を喪ったことの慰めになる気がした。

この時点でおじいちゃん猫と子猫がうちのこになっている。

翌平成29年10月、愛猫1匹、亡くなる。高齢だったのと

最後はおむつもしていて、動けなかったので、覚悟はあったけど

可愛がっていた3匹が1年半の間に相次いで亡くなるのは悲しすぎた。

高齢猫が亡くなった3日後に、また職場の隣の敷地で子猫発見。

病院に連れて行ったところ「未熟児」だとのこと。医者の口ぶりでは

何となく育たなそうな言い方だった。

可愛くピーピー鳴いて、抱っこをやめるとさらに鳴いた。

でも、やっぱり駄目だった。3日後に亡くなった。

雨の降る日曜日だった。荼毘に付して、涙が出た。

そして、その翌日の月曜日に、「がんの疑い」という恐怖の手紙が来た。

その年の終わりに乳房をひとつ失った。

この2年間は本当に私にとっては怒涛の2年間だった。

病理検査

平成30年1月29日

病理検査の結果が出る日。

浸潤は数ミリ、広がっている部分は非浸潤。

ステージは1 グレードは2 ホルモン陽性、リンパ節転移なし。

いわゆるルミナルAというやつで、ホルモン治療を予定では5年。

もしかしたら10年になるかも、、、、まあそれは追って検討しましょうとのこと。

アリミデックスという抗ホルモン剤を服用することになりました。

抗がん剤がなしということで、ほっとしました。

 

私は、更年期障害がつらくて、ホルモン補充療法をしていたのでした。

これが、がんの芽にせっせと栄養を与えていました。

今回は、真逆の治療になります。ホルモンをぎゅっと抑えていく。

そして、まだ残っているかもしれない、がんの芽に栄養を与えない治療。

 

もちろん、やりぬきたいと思います。

(そうは言っても実はのちに、いったん挫折するのですが。。。)

 

そして主治医の言葉、

「当初、再建したいと言っていたけど、もういつでもできますよ」

いやいや、その時の私はもうほとんど人工乳房をぺたっと張り付ける方向に

気持ちが向いていたので、主治医のお言葉もさらっと流す。

1月8日から仕事開始

いつもなら、年明けの4日5日も仕事するんだけど

今年はやめた。8日から開始。手術前と全く変わらず

働き始める。ただし、もう無理しない。無理しないといけない量の

仕事を抱えないように心がける。

遅くまで仕事しない、とっとと帰る(笑)

日常に戻ったけど、心の奥には「がんを手術した」という

事実がどんよりと漂う。

このショックは、いつまでも消えないだろうな。

そうそう、退院後には2~3日置きに傷跡にテープを貼るので

否応なしになくなった胸を見る。

なんだか、あっけない。ほんとうにさっくりなくなっちゃった。

まだこの事実が受け入れられない。

これを書いている今なら思う。受け入れるのは無理。

受け入れる必要もない。悲しい思い、つらい思い、封印しなくていい。

術後最初の診察

平成30年1月5日

術後最初の診察。さらっと見て、「大丈夫」とのこと。

まだ病理検査が出ていないので、出たら今後の治療方針を決めましょうとのこと。

「先生、脇がとっても痛い。服が当たるとこすれてつらいんですけど」って

言ったら「みんな、そういうんですよ。中の神経を切っているからね」

「そのうち少しずつよくなります」とのこと。

病院には図書館があり、入院中に入り浸る予定だったのに

入院した木曜日は検査検査で忙しく行けず、金曜日は手術だし

土日は図書館休み、月曜日の朝退院しちゃったので、結局行けなかった。

というわけで、この日診察後に図書館にこもる。

がんに関するありとあらゆる本があって、司書の人もいるし

図書館大好きな私には、好きな場所です。

ここは会計も受付だけしておけば、会計窓口でじっと待ってなくてもいいので

気が楽です。

 

平成30年年明け七福神めぐり

テニスチームの人が、1月4日に七福神めぐりを企画してくれた。

術後、2週間たってないが、まあいいか。主治医の許可も取ってないが(笑)

傷は胸と脇なので、足腰は関係ないし。

夫も一緒に行くので、具合悪くなったら途中で帰ればいいし。

リュックはまだ怖いので、ウエストポーチで行く。

メンバーの中に看護師さんがいるので、その方は「全摘でよかった。温存は

再発する確率が高い」と言っていた。それにしても

「今日、来て大丈夫なの??」って言ってました。大丈夫そうですよ。

結局全行程12キロほどでしたが、歩きとおせました。

皆さんと一緒にわいわい(私はヒーヒー)言いながら歩くのが楽しく

途中で振る舞われる甘酒や、お餅や色々なものが美味しく、

免疫がバッチリ上がる気がしましたよ。

そして初めて、ご朱印帳を買って、ご朱印を揃えました。

私がご朱印を頂いている間に待っていただいたメンバーには

ちょっと迷惑かけちゃったかな。

正直、術後の身体で歩けとおせるかな、って不安だったけど

行ってよかった。

脇が痛い

退院直後は痛いな、というレベルだったけど

だんだんヒリヒリ痛くなって、普通のブラウスの脇が当たるだけで

かなり痛い。時々腕をあげないとつらい。

これは困った。年明けから仕事するのに、着る洋服はあるのか?

色々タンスからかきだして、脇のきつめなものはタンスの奥に。

脇のゆるい服しか当分は着られない。それを出しておく。

スーツを着るのもほとんど無理。

普段はスーツだったけど、スーツが必要な場面以外はカーディガンに

するしかない。結構これは悩んだ。

センチネルだけのはずだけど、本当か?など、かなりの期間

悩んだものです。

年明け5日に診察だからよく聞いてみよう。